こんにちは、ナチュラルライフ探求ライターmiaです。
ライターのノウハウを身に付けて、ライターとして活動したい。もしくは副業として、好きな書くことで収入に繋げたい。そんなあなたのための、「Writer style(ライタースタイル)」。
そもそもライターとは?といった基本的な内容から、ライターになる方法、書くことの極意などを歴8年半(2021年現在)のライターが、経験から惜しみなくお伝えします。
- 「Writer style」の主催者とは?
まずは「Writer style」の主催者、自然に沿った生き方を発信するmiaとは誰なのか。どういう経歴の持ち主なのか、じっくりと掘り下げてお伝えします。
旅行誌の制作ディレクター時代
メディアデビューは旅行雑誌の記事広告制作。
このときの肩書は制作ディレクター。デザイナーやライター、カメラマン、モデルなどのブレーンさんをまとめながら、クライアントとの板挟みでページを進行管理する係のこと。
課題解決の企画出しから、デザインや写真など、全体を把握し整えていくお仕事でした。
ライティングとしては、キャッチコピーを作るノウハウを学び実践する日々。有名な100本ノックぽい経験もしましたが、そのどれもが今の私を作ってくれていると感じています。
愛あるスパルタ教育
制作ディレクター時代は2003年~数年間、まだwebサイトより雑誌の方が影響力もあって、広告の売り上げもバブル色が濃く残る時代。
手掛けていた旅行雑誌は全国誌なのですが、なかでも「関西版」は広告収益が好調だったと聞いています。
言われると確かに、デスクを向き合わせて一緒に働いた先輩は、有能揃い!発想力やそれをカタチにする力。さらにその内容がしっかり読者とクライアントさんのためになっていたところを、ただ尊敬して一緒に働けることに恵まれていると感じていました。
そんな先輩たちに囲まれ、クリエイティブ職デビューをしたため、最初はかなりスパルタ!
一年目から大手クライアントを任されて
初めての取材は奈良が舞台の4Pもの。ひとりでチームを組み、泊まり取材でした。
大阪の会社からなのでもちろん日帰りが可能なのですが、当時はまだバブルの名残があったため、経費でチームごと一泊。泊まり取材とはこういう流れだと体験で学びました。
そのほかにも大手の鉄道会社のパンフレットやポスター、中刷り、紙面6Pなどのボリューム満点のお仕事も一年目から任せてもらうなど、なかなかのハードルの高さ。
にもかかわらず、世界一周に出るまで数年間(日本で一番長い職歴!)続いたのは、どの先輩ディレクターもとにかく面倒見がよく、自立を促しつつも面倒を見てくれる姿勢が徹底していたから。
しかも、どこへ行っても「なんとかなる!」という自信に繋がりましたしね。
今でも人生で一番楽しく、成長できた日本での職歴です。
広告代理店のお抱えライター時代
求人広告ライターを半年、大阪の広告代理店のお抱えライターを2年ほど経験しています。
初めてライターの名刺を持つ
実は初めて「ライター」として働いたのが、求人情報誌を発行する企業でした。
「求人広告ライター」とも呼ばれるお仕事ですがこのとき私は、ライター未経験であったにもかかわらず、「ライター」と名乗ってライターのポジションを得ました。
そう、ライターって、名乗ってしまえばこっちのものなのです。
ただ、その直後に実力が露呈することになるので、どこまで自分の文章力に自信があるか、もしくは、書くものに対してプレゼンができる力が重要に。
私はディレクターという職歴があったため、後者の力が強かったのも未経験で応募に踏み切れた理由のひとつです。
半年で辞めていますが、これはこの後ケアンズに移住するまでの、一時的な仕事だったためです。
日々取材、日々執筆でライティングの腕を磨く
オーストラリア在住歴が7年を越えるなか、どうしても「日本語で書く」という職業のキャリアを極めたく帰国。
広告代理店ですが、かなり多様な情報誌を扱う会社だったため、ここでよりライター業を安定的なものに。グルメや旅、ライフスタイルをメインで扱いました。
ただライターはアルバイトだったため、何度も人事には「アルバイトですよ、いいんですか?」と、そのとき30代半ばだった私は念を押されたものです。
「大丈夫です。私は雇用形態ではなく、やりたいことで働きたいので」と何度も言いましたが、本当の意味では彼女に伝わっていないかもしれません。
私にとってはライター業に専念できた幸せな時期でもありました。
フリーになった「ナチュラルライフ探求ライター」時代
オーストラリアに舞い戻るも、色々な事情と前回とほぼ同じ理由で、結局しばらくするとまた日本に拠点を戻し、フリーランスライターとして活動開始。
やりたいことをやり切らないもどかしさを、もう本当に脱するタイミングが訪れたのです。
フリーライターのあり方への気付き
日本に戻り、最初は京都の出版社や編集プロダクションに連絡して、情報誌やフリーペーパーのライティングをしていました。
一日で3~4件ほどスポットをカメラマンさんと巡り、取材&執筆する日々。

京都の郊外への取材でサステナブルなレストランへ

有名シェフが満を持して開いた銀閣寺界隈の一軒

旅行誌時代のカメラマンさんと別案件という奇遇!
新しいお店や珍しいスポットを訪れる日々は、楽しかったのです。
ですがその頃に知り合った、活躍されている先輩フリーライターさんを見ていると、それぞれに「色」や「強み」を持っていることに気付くのです。
例えば地域に精通したローカルライター、薬事法を学んだ医療系ライター、編集ライターなど…。
それまで私は主に商業ライターでしたから求められたことを書く、クライアントさんの取材に行く、が通常ルートだったのが、その限りではないと知ります。
特にwebがメデイアの主流になりつつある今、「伝えたいこと」を持っているライターは強い。そしてそれはある種の「セルフブランディング」ができることでもあります。
「自然に沿った生き方」を発信したい
自分の強みやそのとき関心の高い分野を掘り下げたら、「ナチュラルライフの探求」に辿り着いたのです。
もちろん私には「旅」というテーマもありました。でも、調べるほどに「旅ライター」というのは単価平均が安く、なおかつ求められるのは、私が書きたい旅の醍醐味、というより「旅のハウツーまとめ」的な内容。「〇〇な宿10選」といった記事です。
それが良い悪いの話ではなく、私は旅に関しては、経験を踏まえた「生き方のような旅」を書きたい。実は今もその考えは、根底にあります。
そんな経緯で、ひとまず私のテーマは「自然に沿った生き方」「ナチュラルライフの探求」になったのです。
専門家ではない私が発信するとなれば、やはり私自身を実験台とした経験から発信すること。
ですから食生活や冷えとり、呼吸法やアーユルヴェーダの習慣など、気になることはどんどん学び吸収してアウトプットを始めました。
今は主にオーガニックやサステナブル、エシカルなどをテーマに書いていて、学んだことをカタチにするため、いくつかは簡単な資格も取得しています。

「オーガニック料理ソムリエ」

「食学検定」

「アロマ検定一級」
書きたいことと求められること
ただ、書きたいことと求められることが一致しなければ、ライターという職業は成り立ちません。
正直、ファッションやメイク、コスパよく暮らすなどのテーマと比べ、どうしても私の書きたいことはニーズが弱いのは肌で感じています。
それでも書きたいことが見つかったのは幸せなこと。今でも引き続き、そのテーマで発信中です。
コラム執筆の依頼を受けて
私はたびたびコラムの執筆も行っています。
初めてはオーストラリアのクイーンズランドで発行されていたフリーペーパー「サザンクロスタイムス(SCT)」内の旅コラム。「How to be a backpacker」という連載を2009年から一年ほど執筆しました。
今では「Pretty Online」というサイトの連載コラム「優しく、シンプル。サステナブルな暮らし」、そしてこちら「My Shining Life」での連載コラム「mia’s 自然に沿った生き方」では、よりスピリチュアルな内容を発信中です。
さまざまなライティング経験からお伝えできること
ここまでお読みいただけたなら、ライターと一言で言ってもいかにさまざまな内容が含まれるかがお分かりいただけるはず。
私も目指す「物書き像」にはまだまだなり切れていませんが、その過程でもシェアできることはたくさんあります。大先輩、というよりちょっと経験値の高い仲間、という感じ。だからこそ乗れる相談はたくさんあると思いますよ。
今回は自己紹介まで。今後、「Writer style」ではライターって実は…という、お話も含めなかなか知れないリアルな声をお伝えしていきます。