ここ半年ほど、行くところ行くところ、会う人会う人と話し続ける。
「マスクって意味ないよね」「コロナは風邪の一種、パンデミックは茶番だよ」「ワクチンは今までのものとは一線を画してる!今回のは遺伝子ワクチンだから」などなど…。
話すだけに留まらず「My Shining Life」でも記事にし、私のブログでも書きました。
でもなぁ、と最近思い始めています。
あのね、正直もう飽きたのですよ。
心底、「もういっか!」となっています。笑。
それはそのときに私自身が出すエネルギーがしんどいのだということ。
「なんで、なんでわからないんですか!厚労省だって『コロナは風邪の一部』だって発表しているし、WHOだってマスクの必要性を言及しないのに。ちゃんと見てますか、調べてますか」
そういうモヤモヤした思いや憤りを、日々飲み込みながら生きることに…。
そしてそれはほかの誰でもない、私自身が一番ダメージを受けているに違いなく。
そして面白いほどそういう現実を創り出したこともあったりして、「あぁ、私ってば何やっているのだ」と苦笑い。
私が自分のエネルギーに疲れるのは、私のそれらの行動全てが、「自分にとっての真実を理解してもらおうとしている」ところにあるから。
書いていてちょっと笑っちゃいました。
それって自分の正義を押し付ける、という構図と全く同じこと。
相手だってきっと思っているかもしれないのです。
「あの人いつもマスクせずに大きな声で話して、マナーも悪いし自分勝手!」とね。笑。
マスクしている人がしていない人に対して「しろよ!」と言うことも、またその逆もなんと意味のないことだろうと思います。例え「だってきっとこっちの方がいいよ、楽だし楽しいよ」という考えのもとであったとしても。
最近何度も、「フォーカスするところはそこじゃない!」と自分の中から声がするんですよ。
ただもちろん今後も私にとっての真実を生きるしかないし、できればより多くの人と一緒に笑顔で健やかにこの世界を生きたいと思っている。
そして私はそれは私なりの愛だと思っています。
知っているのに自分だけが良ければいいとは思えないし、ま、もしかしたらそういう人がひとりでも増えたら世界が生きやすくなるから自分のためとも言えなくないですが。苦笑。
いずれにせよこれからもおそらく記事に書いたり、聞かれたら話すだろうし、そういうことはスタンスとしては変わりないと思います。
でもそれをどういう気持ちでするのか。そして相手をありのままで受け入れつつ、自分はどのように行動するのか、が大切になってくるのかなと。
マスクをしてもいいしワクチンを打ってもいい。
私たちは皆、究極的には本当に何してもいいんだということ。
ワクチンを打って症状が出たっていいじゃないですか、それで学ぶことがある。そうすれば自分には良いと思ったのだから。
もしくは同調圧力に負けたというなら、そうじゃない自分を今後は生きる。もし「今後」がなくなったら、次の人生で課題にする。
気付きのタイミングは本当に人それぞれなんですよね。
だから私はその人の選択を尊重するし、その人も私も自分の立ち位置から学ぶことを学び切るだけなのだと再認識したのでした。
そして何より、私は突き抜けていきたいのです。
マスクやワクチンということに左右される世界は、なんと狭いのだろうという気付き。
そういう言葉を発するよりも、愛のある美しい言葉を発したい。批判や非難よりも、愛や尊重やワクワク心が躍る言葉を目にしたい。
書いている時点で、私はまだまだそこには達していません。苦笑。
でも意識したときから全て、そちらに勢いよく流れていき始めます。
こうして書き残すのは、自分との誓い。
近い将来にまたこのコラムを読んで、そういえばここで心に決めたんだったな、と笑顔で思い返せるように…。
皆さんはどうですか、どんな世界を選び続けていますか。
全てはまず自分のために「気分が上がる考え方を選択」し、習慣化してしまうこと。そして外からの影響を受けないくらい、突き抜けてしまうこと、ですよね。
もちろんこんな世界をも楽しんでいるんですよ、一見そうは見えなくても!苦笑。
だから地球ゲームのノリで、ケラケラと笑いながら乗り越えたいって思うのです。
文:mia